四季折々の花と花言葉、はたまた管理人の花と緑と野菜との触れ合いの日々をきままに語ったり綴ったり「フラワー・ステーション」。
ものごとの区切り・時間の経過の一まとまりとして、
「3日・3週間・3ヶ月・3年」などとも称されますが、
「3・11 満7年」がやってきます。
災害に対する備え・対策・復旧、復興の措置などは、
前進した部分も確かにあるかと思われます。
今後も、人間社会と天災との関係の原理をとらえて、
「できること」「できないこと」を、
「わきまえる」べき(=分を知る)なのかも、しれません。
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2011年ラストの更新、特別バージョンでお送りします。
(注・初出は2011年12月)
3・11の大震災をはじめ、台風による水害など、激甚災害に見舞われた日本列島。
しかし海外に目を転じれば、世界各地でも天変地異によって大きな被害が発生しています。
そして、人類が作り上げてきた「科学文明」が牙をむいているのが原発事故。
事態をどう捉え、どう明日に進んでいくべきなのか・・・
人類全体が大きな岐路に立たされているのかも知れません。
考えを深めるキッカケとして、
寺田寅彦(てらだ・とらひこ)の随筆を抜粋して音声化してみました。
寺田寅彦とは →
ウィキペディア昭和9年、10年に発表されたものなので、文体に「経年感」がありますが、
現状にもあてはまる言説という印象です。
〜〜〜 「天災と国防」より 〜〜〜
「しかしここで一つ考えなければならないことで、
しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。
それは、文明が進めば進むほど
天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である」
(24秒)
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こちら 「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向がある
という事実を充分に自覚して、
そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、
それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。
そのおもなる原因は、
畢竟(ひっきょう)そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、
ちょうど人間が前車の転覆を忘れたころに
そろそろ後車を引き出すようになるからであろう」
(「天災は忘れた頃にやってくる」・・・40秒)
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こちら 〜〜〜 「災難雑考」より 〜〜〜
「大津波が来ると ひと息に洗い去られて
生命財産ともに泥水の底に埋められるにきまっている場所でも
繁華な市街が発達して何十万人の集団が利権の争闘に夢中になる。
いつ来るかもわからない津波の心配よりも
あすの米びつの心配のほうが より現実的であるからであろう。
生きているうちに一度でも金をもうけて3日でも栄華の夢を見さえすれば
津波にさらわれても遺憾(いかん)はないという、
そういう人生観をいだいた人たちが そういう市街を造って集落するのかもしれない。
それを止めだてするというのがいいかどうか、
いいとしてもそれが実行可能かどうか。
それは、なかなか容易ならぬ むつかしい問題である。
事によると、
このような人間の動きを人間の力でとめたりそらしたりするのは
天体の運行を勝手にしようとするよりも
いっそう難儀なことであるかもしれないのである」
(そうは言っても、文明や経済の発展・発達と開発は切り離せません・・・
難しいですねぇ・・・1分13秒)
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こちら 〜〜〜 ふたたび「天災と国防」より 〜〜〜
しかし、それはそれとして、明日に進んでいかねばなりません。
「人類が進歩するに従って
愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。
(中略)
天然の強敵に対して 平生から国民一致協力して
適当な科学的対策を講ずるのもまた
現代にふさわしい大和魂の進化の一相として
期待してしかるべきことではないかと思われる」
(希望を持って・・・32秒)
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こちら寺田寅彦の著作は、多岐にわたります。
ご興味を持たれた方、一読してみては。
こちらに全文収録されています。